『なかなか暮れない夏の夕暮れ』あらすじと感想文|ページをめくる官能|江國香織
- 『なかなか暮れない夏の夕暮れ』あらすじと感想文
- ページをめくる官能
- 物語と現実
- 江國さんの北欧ミステリーと愛
- ほんの少しの孤独とたくさんの愛情
少しだけネタバレあります。
本の世界へ―。
江國香織さんの小説『なかなか暮れない夏の夕暮れ』感想です。3つの物語が織りなす幸せな日常小説。
江國さんの本を読むと、無意識のうちに「華子」を探している自分がいるんです。
『落下する夕方』の華子です。特に自由奔放な女の人がでてくると、華子みたいだ!と思い、つい嬉しくなってしまう。
たとえば本書のゾーヤや雀。気づくと華子と照らし合わせて読んでいました。
私だけだよね、そんな読み方してるの。
『なかなか暮れない夏の夕暮れ』あらすじ
ページをめくる官能
3つの物語が混ざり合う、幸せな日常を描いた物語。
『なかなか暮れない夏の夕暮れ』感想
『なかなか暮れない夏の夕暮れ』は、本の帯に書かれている「頁をめくる官能」という言葉がしっくりくる物語です。
正直 そこまで深くハマれた小説ではなかったけど、本を読むことの幸せを感じました。
江國香織さんの本は久々に読んだ。読みやすいよね。
ページをめくる官能
- 『なかなか暮れない夏の夕暮れ』の日常 (稔や雀、波十、大竹、茜などがでてくる)
- 稔や茜が読んでいる本の世界①(ゾーヤやラースがでてくる北欧ミステリー)
- 稔や茜が読んでいる本の世界②(ナタリアやラウラがでてくる物語)
主人公の稔は本の中で本を読んでいるんです。本の世界にひたる彼が本を読んでいる私とダブって見えて、とても幸せな読書時間でした。
まさにページをめくる官能といっても過言ではないくらい。
本の世界に没頭する稔に共感するんですよね。普通に生活していても本の続きが気になったり、早くあの世界に戻りたいと思うことはよくあることで・・・。
心ここに在らず状態。完全に物語に没頭してた。
物語のようで、現実のような
初めは稔が読んでいる北欧ミステリーの世界から始まります。
ラースの愛人・ゾーヤが行方不明になってしまう。でも物語は唐突に途切れるんです。・・・最初に読んだ時は、えっ、ミスプリ!?と思いました。でもミスプリではないんです。
本を読んでいた稔が、本から顔をあげた (本の世界から今いる世界に戻ってきた) 瞬間を描いていました。
ラースやゾーヤがいる世界は唐突に途切れます。小説を読みながら物語の世界からふいに現実に引き戻された感覚。・・・その現実も私が読んでいる物語なわけだけど。
稔の世界とラースの世界が同時に描かれているから、不思議な感覚になったよ。
両方とも物語のようで現実のような・・・。私にとっては両方とも本の世界だけど、稔にとっては現実と本の世界。でも両方とも現実のような感覚になります。
本を読んでいるときって、その世界が現実のような気になるよね。
その感覚にひたっている稔を私は読んでいきます。・・・私も本を読んでいるときは彼のような感じになってるんだろうなぁと、自分を分析していました。
江國さんの北欧ミステリーと愛
江國さんが描くミステリーというものを初めて読みました。
稔の世界よりも、ラースやゾーヤがでてくる北欧ミステリー (稔が読んでいる本の世界) が気になってしかたがなかったです。
妻がいながらゾーヤにひかれてしまうラースや、殺されてしまったエリック・・・。
ミステリーでも男女の「愛」を描いているところが江國さんっぽいですね。そしてゾーヤが可愛いい。
「飲みましょう」でも「飲ませて」でも「飲みたい」でもなく「飲まなきゃ」というゾーヤ。
何気ないことなのに、言葉にするとそれがゾーヤの魅力である気がして。ラースのゾーヤを愛している気持ちが伝わってきます。
江國さん独特の描き方だよね。とても魅力を感じる女性だった。
『なかなか暮れない夏の夕暮れ』ほんの少しの孤独とたくさんの愛情
主婦・渚の気持ちに共感しました。江國さんが描く、ほんの少しの孤独が心に染みます。
私もたまに何もかもがイヤになる瞬間があるから・・・。全部なげだして逃げたくなります。華子のように (落下する夕方の)、逃げだしてしまえれば楽なのになと思う。
でも逃げ出したら最後、全て終わってしまうような気がするから、そんな勇気はないんだけどね。
ほんの少しの孤独と同時にたくさんの愛情が描かれていて、最後は温かな気持ちになりました。