『なんにもできなかったとり』絵本あらすじと感想|幸せを求めて|刀根里衣
- 『なんにもできなかったとり』あらすじと感想文
- 刀根さんの思い
- 不器用な鳥と私 (共感)
- チャレンジする気持ち (勇気)
- 生きることとは? (切なさ)
- ほんとうの幸せ (喜び)
- 自己犠牲の愛
少しだけネタバレあります。
ぼくにも できることが、きっとある!
刀根里衣さんの絵本『なんにもできなかったとり』感想です。
イタリアデビュー作。不器用なとりのお話でした。
実はこの本を読んで泣いたんです。なぜ泣いてしまったんだろう?と考えていると、自分に照らし合わせて読んでいたということに気づきました。
大人にもおすすめの泣ける絵本だよ。
『なんにもできなかったとり』あらすじ
切なくて涙する!
何をやってもうまくできない鳥のおはなし。生きるとはどういうことか。幸せとは・・・? 心が震える感動作。
刀根里衣さんの思い
『なんにもできなかったとり』は作者の思いがたくさん詰まっているように感じます。絵本ナビというサイトの刀根さんインタビュー記事を読みました。
ここで描かれているのは刀根さん自身。
当時の彼女の思いが絵本にそのまま描かれているんですよね。何をやっても中途半端な自分でも出来ることはある。
胸が熱くなった。
『なんにもできなかったとり』感想文
絵本から感じたのは、共感、勇気、そして喜びと切なさでした。1羽の鳥を通して見えてくるものがあります。
生きるって、どういうことか? 幸せって、どういうことか?
絵本を読んでいると、その答えが見えてくるよ。
不器用な鳥と私 (共感)
主人公は1羽の不器用なトリです。
「なんにもできなかった」というタイトルからも想像できるのだけど、何をやっても満足にできませんでした。
尻尾がお花になっている主人公の「ぼく」。可愛いイラストにほっこりします。でも切ない気持ちにもなりました。
私も何でも器用にできる方ではないから、主人公に共感してしまう。
失敗ばかりをくり返して、たまに自分がイヤになったり・・・。トリに昔の自分を照らし合わせて読んでいました。
みんなは上手くできるのに私だけ。そう思うとよけい惨めな気持ちになります。
チャレンジする気持ち (勇気)
なんにもできない「ぼく」。でも何もしなかったわけではありません。現状を変えようと努力する姿が描かれていました。
- 網を使って魚を釣ろうとする→網が大きすぎて失敗
- 風船を使って飛ぼうと試みる→空気が抜けて失敗
結局は全て失敗してしまうけど、何もしないのと何かをするのでは大きな違いがあります。
上手くいかなくても諦めない。結果ではなく、過程を経てきたからこその今。
刀根さん自身もそうだったのではないでしょうか。自分を重ねて読んでしまうから、この絵本はこんなにも心が震えるんですね。
頑張ってるトリを応援したくなったよ。
生きることとは? (切なさ)
全て上手くいかなかった鳥は深く傷つきます。
ああ、どうしてぼくだけ なんにも上手に できないの?
この言葉がガツンとくる。胸が痛い・・・。
頑張って努力しても報われないことがあります。その方が多いかもしれません。
でも鳥を見ていると、生きるってそういうことかなとも感じました。少なくとも彼は一生懸命いきている。
一生懸命頑張っている姿は素敵だと思うよ。
ほんとうの幸せ (喜び)
絶望のどん底にいた彼は、あるものと出会います。何と出会ったのかは書かないでおくけど、彼は気づくんです。
誰かの役に立てることが、きっとあるということ。
誰かの役に立てることの喜び。それによって、他者の幸せと自分の幸せを実感するのかもしれませんね。
彼は、もう「なんにもできなかったとり」ではなくなりました! ・・・でも実は結末に切なさを感じるんです。
これでいいの?
主人公にとっては最上の幸せなのかもしれないけど、これでいいの?・・・と問いかけたくなりました。
『なんにもできなかったとり』自己犠牲の愛
『なんにもできなかったとり』は、自己犠牲の愛(自分を犠牲にしてまでも他者の幸福を願う精神)が描かれています。
それについて書かれた物語を読むと、いつも思うことなんだけど・・・、
ほんとうの幸せってなに?
他人がどうこう言うことではないのかもしれません。でも違う形の幸せがあるのではないかと感じてしまうんです。みんなが幸せなのが、本当の幸せなんじゃないかと・・・。
自分が犠牲になるなんて、悲しすぎる。それなら自分も他者も幸せになれる道を探したいな。
鳥が幸せになった最後の絵がとても好きです。切ないけれど美しい。ぜひ読んで確かめてみてください。