『泣いた赤おに』あらすじと感想文・解釈|泣ける!教科書の名作絵本
- 『泣いた赤おに』絵本のあらすじと感想文 (解釈)
- 読むときのポイント
- 青おにの優しさ
- 泣き崩れた赤おに
- 自己犠牲の愛について
- 誰かの犠牲で成り立つ幸せ
いつまでも大切なおともだち。
『泣いた赤おに』絵本のあらすじと感想です。言わずと知れた名作、浜田広介さんの絵本を読みました。国語の教科書にも掲載されていたので親しまれているお話ですよね。
私が読んだのは、つちだのぶこさんが絵を描いた絵本です。
表紙の赤おにが可愛い。でも、せつないなぁ・・・と改めて思いました。
本当の幸せってなんだろう?
『泣いた赤おに』簡単なあらすじ
自己犠牲の愛を描いた物語
人間と仲良くなりたい赤おに。そんな彼をみて青おには、ある提案をしました。人間の前でぼくが暴れるから、赤おには、ぼくをやっつけてと。2人は人間の前で芝居を打つことになりましたが・・・。
『泣いた赤おに』感想文・ポイント
ラストはしんみりしますね。赤おにと一緒に泣きたくなりました。ここで描かれているのは自己犠牲の愛です。
これまでも自己犠牲の愛や無償の愛を描いた本を何冊かよみました。
刀根里衣さん『なんにもできなかったとり』、宮沢賢治さん『銀河鉄道の夜』、オスカー・ワイルド『幸せな王子』シルヴァ・スタイン『おおきな木』・・・。
大きな愛を感じるけど、同時に切なくもなる。最後にモヤモヤな気持ちが残るんだ。
赤鬼と青鬼。どちらの登場人物に感情移入するでしょうか?
何も見返りを求めない青鬼か、青鬼の優しさにふれて泣き崩れる赤鬼か。
2人の気持ちを想像してみました。自己犠牲の愛を否定したくなります。違う結末があったはずだと思わずにはいられない・・・。
3つのことに注目したよ。
青おにの優しさ
青おにの気持ちを想像してみました。
友だちの幸せを1番に願う青おに。親友・赤おにのための自己犠牲、母のようなおおらかな愛を感じます。
一見すると青おには優しく思えますね。赤おにのために自らが悪者になる。・・・悪役を引き受けるわけです。
誰にでもできることではないよね。私はたぶん、できない。
大切な人が幸せであるなら嬉しいし、もし困っているのなら助けになりたい。
でも私はそんなに器が大きくないから、自分の心にゆとりがない時だったら青おにみたいにできないだろうな。
青おには、赤おにのことを考えて自ら姿を消します。青おにの優しさにふれて赤おには号泣するのですが・・・。
これも青おにの優しさなのかな。
泣き崩れた赤おに
置き手紙ひとつ残して姿を消した青おに。その手紙を読んで号泣する赤おに。
今度は、赤おにの気持ちを想像してみました。
青おにの優しさにふれ、感謝と申し訳ない気持ち。そしてやるせなさ・・・。こんな結末を望んでいたわけではなかったんじゃないかな。
赤おには、青おにと人間たちとみんなで仲良く暮らせる日がくると思っていたはず。赤おにの気持ちが痛いほどわかります。青おにを不憫に思う。
これが切なさの原因。
【簡単な解釈】ここまでのまとめ
2人の気持ちを想像してみたけど、赤鬼の方が感情移入しやすかったです。
- 青おに→自らを犠牲にして子を想う母のような大きな愛を赤おにに捧げる
- 赤おに→青おにに感謝して申し訳ない気持ちと青おにを不憫に思い泣き崩れる
赤おにが号泣するシーンで物語は終わります。・・・ふと、疑問に思いました。
青おにのとった自己犠牲の行動は、果たして彼の優しさと言えるのか?
自己犠牲の愛って、どうなの?
前によんだ絵本『なんにもできなかったとり』や、『銀河鉄道の夜』を読んだ時にも感じたことがあります。
残された方の気持ちは?
自己犠牲の愛を否定するわけではないけど、結局のところ自己満足以外の何でもないのでは?・・・と。
赤おには、これからも青おにに対して申し訳ない気持ちを背負ったまま生きなければならないから。いなくなってしまったら恩返しも何もできないじゃないか。
本当に赤おにの幸せを考えるなら、姿を消す必要はなかったよね。
誰かの犠牲で成り立つ幸せ
いつも感じていることがあります。
私の幸せは誰かの犠牲(善意)の上に成り立っているということ。
それはお互いさまで、そういう仕組みの世の中。ひとつひとつが小さなことかもしれないけど、忘れずに感謝の気持ちを持っていたいです。
『泣いた赤おに』は名作ですね。切ない結末だからこそ、たくさん想像するし何か言いたくなるし、真剣に考えてしまう。
いつの日か、赤おにと青おにと人間が笑って暮らせる日が来ると良いな。