- 教科書『やまなし』あらすじと読書感想文・考察
- クラムボンの正体
- 宮沢賢治の幸福論
- 5月と12月の対比
- タイトルの意味
- 大人と子どもを魅了し続ける理由
クラムボンはわらったよ。
宮沢賢治の童話『やまなし』を読んで考えたこと・思ったこと (考察と読書感想文) です。小学校6年生の教科書に掲載されていますね。
私が読んだのは『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』に掲載されている1話。
「クラムボン」 の正体など様々な解釈があげられていて、大人も子どもも魅了され続ける物語です。
もくじ
『やまなし』教科書 あらすじ・評価
宮沢賢治『やまなし』
本の評価
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サクサク
【あらすじ】
小さな谷川の底を写した2枚の青い幻灯。季節は5月と12月。5月の昼、2匹の蟹の子どもたちが、青白い水の底で話しています。『クラムボンはわらったよ。』そのとき、1匹の魚が頭の上を過ぎていきました・・・。12月の夜、大きくなった蟹の子どもたちは、あまりに月が明るく水がきれいなので外に出て、しばらくだまって泡をはいていました。そのとき、黒くて円い大きなものが落ちてきたのです・・・。
- 3匹のカニ (弟・兄・父)
- クラムボン
- 魚
- 鳥 (カワセミ)
- やまなし
「クラムボン」 の正体|考察と解説

『やまなし』を読んだときに、誰もが気になることがあります。
「クラムボン」 って何?
賢治の造語 「クラムボン」 が何かは語られていません。想像の域をでないのですが、ネットで検索すると様々な意見がでてきます。
- 泡
- カニの母親
- プランクトン
『やまなし』に登場する 「クラムボン」 。川の底にいる幼ないカニの兄弟が下から 「クラムボン」 を眺めているところから物語は始まります。
『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳ねてわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
「かぷかぷわらった」 や 「跳ねてわらった」 などの表現が楽しい。ここだけ見ると 「クラムボン」 は泡のような気がしました。
そこへ魚が泳いできます。
『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまったよ・・・・・・。』
『殺されたよ。』
楽しそうな光景が一転、「死んだ」 「殺された」 に変わりました。
泡が割れた? 続く兄の言葉で 「クラムボン」 は、泡じゃなくてプランクトンなんじゃないかと思いました。
『何か悪いことをしてるんだよとってるんだよ。』
真相はわかりません。泡でもプランクトンでもなく、賢治の世界でのみ存在する生物かもしれないし・・・。賢治にしか答えはわかりませんね。
でもここでは 「クラムボン」 は プランクトンということで、話を進めていきます。
『やまなし』に描かれた宮沢賢治の幸福論
『やまなし』と言うと必ず 「クラムボンは何か」 問題がでてきます。でもそれよりももっと興味深いことがあることに気づきました。
宮沢賢治の幸福論 「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」 についてです。
『やまなし』も例外ではありません。賢治の幸福論を連想せずにはいられない物語でした。
賢治が考える 「みんなのほんとうの幸い」

宮沢賢治が言う 「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」。その幸福論は『やまなし』でも垣間見ることができます。
私がこの言葉に初めて出会ったのは『銀河鉄道の夜』でした。
『銀河鉄道の夜』では、「みんなのほんとうの幸い」 と自己犠牲の愛がセットで描かれています。
1匹のサソリがイタチに襲われたとき、逃げて井戸に落ちたサソリは思う。こんなに虚しく命を捨てるのだったら、わたしの体をイタチにくれてやれば良かった。そうしたらイタチは一日生き延びただろう。
正直、自己犠牲うんぬんは肯定できませんが、『やまなし』でも賢治の幸福論が透けて見えてきました。
5月と12月の対比にみる幸福論

『やまなし』で描かれているのは、5月と12月の川底。その2つに抱くイメージは真逆でした。
- 5月→ 「死」 を連想。心が落ち着かず不安なイメージ
- 12月 → 「生」 を連想。希望に満ちている
5月では 「クラムボン」 は魚に食べられ、魚はカワセミに食べられるといった食物連鎖が描かれていて 「死」 を連想します。
自然界では ごく当たり前の光景ですが、カニの兄弟にとっては違いました。
『何か悪いことをしてるんだよとってるんだよ。』
「クラムボン」 をとって (食べて) いる魚は 「何か悪いことをしている」 のです。自分が生きるために必要なことが悪いこととされていました。
では真逆に描かれている12月はどうか。
12月には 「やまなし」 がカニのいる川に落ちてきます。ちなみに 「やまなし」 とは 山梨、果物のナシですね。
「やまなし」 は いい匂いのするもの、熟すと美味しいお酒になるものとして、カニに尊がられている存在。希望に満ちて 「生」 を連想します。
そして 「みんなのほんとうの幸い」 の象徴のようにも感じました。
「やまなし」 は 「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」 という幸福論に当てはまります。
カニの住む世界は 「やまなし」 のおかげで幸福になる。5月も12月も真逆ながら、そこには賢治の幸福論が感じられるのです。
なぜ『やまなし』なのか|タイトルの意味

ところで、なぜこの童話のタイトルは『やまなし』なのでしょうか。
5月には 「やまなし」 は登場しないし、それがでてくるのは12月の最後の方です。「クラムボン」 に比べると印象が薄いイメージ・・・。
5月は 「クラムボン」 で、12月は 「やまなし」。別々にタイトルをつけれそうなくらい、お互いどちらかにしか登場しません。
ではなぜ 『やまなし』にしたのか。
「クラムボン」 よりも幸福を象徴する 「やまなし」 をタイトルにすることで希望が感じられる。
これも真相はわかりません。でもカニたちを幸せに導く 「やまなし」 は、賢治の考える幸福論そのもの。未来の幸福を願う思いが感じられました。
宮沢賢治 「みんなのほんとうの幸い」 について最近思うこと
『銀河鉄道の夜』、そして『やまなし』を読んで再び賢治の幸福論にふれました。
最近思うことがあるのです。
「みんなのほんとうの幸い」 は、ひとりひとり幸せの価値観が違うということ。自己犠牲がない世界が 「みんなのほんとうの幸い」 に近づく。
本人は良いのかもしれません。でもその人が犠牲になることで悲しむ人がいるということ。悲しむ人は幸福とは言えません。
教科書『やまなし』が大人と子どもを魅了し続ける理由
学校の教科書にも掲載されて、今でも様々な解釈が絶えない『やまなし』。それはひとえに、全てが謎のままだからでしょうね。
もしも 「クラムボン」 の正体がわかっていたら?
それはそれで とっても知りたいことですが、想像する楽しみが半減しちゃいます。いくつかの謎が大人と子どもを魅了し続ける理由。
想像力が身につく、考察力がつくなど堅苦しいことは抜きにして、ただただ想像する楽しさが味わえるのが『やまなし』の魅力です。
他にもあります

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