『電気じかけのクジラは歌う』あらすじ&ネタバレ感想文|ヒトはAIと共存できるのか?|逸木裕
- 『電気じかけのクジラは歌う』あらすじと感想文
- 運命を狂わされた作曲家たち
- 作曲をする『Jing』について
- 創作に意味はあるのか?
- タイトルの意味と52ヘルツの鯨
- AIとの共存
少しだけネタバレあります。
ヒトはもう、創作しなくていいのか
逸木裕さんの小説『電気じかけのクジラは歌う』あらすじと感想です。くじらの本の表紙が可愛く、タイトルに惹かれて手に取りました。
ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を連想。
ディックの小説は本格的なSFです。『電気じかけのクジラは歌う』はSFとミステリ要素はありつつも、主体は違うように感じました。
『電気じかけのクジラは歌う』あらすじ
ヒトはAIと共存できるのか?
人工知能が作曲をするアプリ『Jing』(ジング) が普及し、作曲家が絶滅した社会。『Jing』専属検査員で元作曲家・岡部のもとに、親友・名塚が自殺したと知らせが入る。名塚は現役作曲家だった。名塚から奇妙なもの、名塚の指のオブジェと未完の新曲が送られてきた。それが意味するのは? ヒトはなぜ創作するのか。AIが作曲をする今、創作する意味はあるのか。
『電気じかけのクジラは歌う』ネタバレ感想文
最初はあまりハマれなかったけど、中盤以降に深みが増しました。
AIに仕事を奪われた作曲家たちの苦悩や執念といった「音楽を作ること」に重きを置いています。
なので、SFとミステリーを期待すると肩透かし。それらを混ぜたお仕事(芸術)小説といった感じでした。
とにかく「作曲」に関しての苦悩や執念がすごい。
人工知能に仕事を奪われても、主人公・岡部を初め、自殺した名塚、益子など、みんな最初から最後まで「作曲家」であり続けていたのが印象的です。
AIの進化で職がなくなる!?運命を狂わされた作曲家たち
『電気じかけのクジラは歌う』は SFとミステリーと芸術が混ざりあった小説です。比率で言うと、2:2:6くらいに感じました。
- 芸術要素→登場人物たちの「作曲」にかける思い
- ミステリー要素→自殺した名塚から送られてきた奇妙なもの(名塚の指のオブジェと未完の新曲)の意味を解き明かしていく
- SF要素→AIが発達した社会が舞台
本書のキモは「人工知能が作曲をする今、ヒトが創作する意味はあるのか?」です。
作曲家だった岡部の葛藤が痛々しい。かつて岡部は 名塚と益子の3人で、「心を彩るもの」という音楽ユニットを組んでいました。
やがて人工知能が簡単に音楽を作ってしまう社会になります。岡部の脱退を機にユニット「心を彩るもの」は解散。
岡部はAIの検査員に、名塚と益子はそのまま作曲家として別々の道を歩むことになりました。そして名塚が自殺してしまうのです。
AIに仕事を奪われる。リアル社会に通じるものがあるね。
人間よりも人工知能の方が リスナー好みの音楽を短時間で作れてしまうのは切なくなります。でも最後の方で、AIと人間が共存しながら作曲をする様子が描かれていて ホッとしました。
巨大なクジラ、作曲をする『Jing』
『電気じかけのクジラは歌う』に出てくる人工知能というのは、クレイドル社の「Jing(ジング)」です。
人工知能が作曲をするんだね。すごい。
便利な「Jing」サービス。でも新しいものができると、今までのものが衰退していく。便利になった一方で悲しい現実と向き合うことになります。
「Jing」とリスナーがいれば音楽が成り立ってしまうという・・・。もう人間が作曲をする必要はないのかな。
創作に意味はあるのか?
元作曲家、現在は「Jing」の検査員をやっている岡部。彼の悩み苦しむ姿がたくさん描かれていました。
自分が作る程度の曲は人工知能で簡単に作ることができるのに、それでも作る意味がどこにあるのだろうか
岡部の気持ちが少しだけわかります。自分が時間をかけて作った曲が人工知能で簡単に作れてしまうのは、心が折れるかもしれません。
創作に意味はあるのか?
私は作曲家ではないから、彼の気持ちを想像することしかできないのだけど・・・。でも何かを作ったあとの達成感は気持ちが良いものですよね。
そういう気持ちを感じるのも大事。創作に意味はあるよ。
もしも人工知能が私よりもずっと上手く人の心に刺さる本の感想を書けたとしても、私はブログ(本の感想)を書くのをやめないだろうな。
1人でも私の感想を読んでくれて何かを感じてもらうことができたなら、その誰かには私の記事は意味があることになるからです。
作曲も何かを作るという点では一緒だね。
もしかしたら人工知能の方が人間よりも良い曲を作るかもしれません。それでも一音一音おなじというワケではないし、自分の音が表現できれば、その人の持ち味が魅力の音楽になる。・・・それで良いんじゃないかな。
タイトル『電気じかけのクジラは歌う』の意味と52ヘルツの鯨
タイトル『電気じかけのクジラは歌う』は「Jing」を指しています。素敵なタイトルですよね。
なんでクジラなんだろうと不思議に思っていると、ザトウクジラの話が書かれていました。
ザトウクジラは複雑な歌を歌うそうです。しかもその歌(鳴き声)は他のクジラにも影響を及ぼす。歌を歌って聴いてるうちに新しい音楽が生まれていきます。
作曲をすることと聴くこと。その連鎖から「新しい曲」が生まれる。ザトウクジラの鳴き声のように。
そんな意味を含めて「Jing」と名づけたのかもしれませんね。
この小説を読んでいたら『せつない動物図鑑』を思い出した。
その中に書かれていた迷子のクジラ(52ヘルツの鯨)の話。
52ヘルツで鳴くクジラは、他のクジラと周波数が違うため鳴いても仲間に声が届かない。20年以上も独りで鳴き続けているそうです。・・・これを読んだら切なくなりました。
AIとの共存
最初からずーっとグチグチ悩んでいた岡部。この主人公のことが好きになれなかったです。でも最後は梨紗のために作曲をする。演奏する彼女のことを考えて・・・。
こういうの、AIだけだったら出来ないかも。
人間の創作は相手を思いやる気持ちがあります。短時間でより良い音楽を作る人工知能との共同作業で、今までよりも素敵な楽曲になる。
2つが波及しあって新しい曲を作るのが可能になるんです。
AIと共存できる社会が理想。のみ込まれるんじゃなくて、共存していかなければならない未来が迫ってると自分に言い聞かせながら読み終わりました。
素敵なラストだった。